我が家の庭には、バラの木が一本あります。
「アロマセラピーを習っているんだし、庭にバラがあったら素敵かも」
そんな軽い気持ちで、薄いピンクの可憐な花を咲かせる苗木を植えました。
最初のうちは張り切ってお世話していたけれど、だんだん手が回らなくなり、
ここ1〜2年は、ほとんど放ったらかし。
本当は消毒や花がら摘み、肥料など、いろいろお手入れが必要なのに…。
ズボラな私には、ちょっとハードルが高かったみたいです。
でも地植えにしたおかげか、ほとんど何もせずとも、
そのバラはちゃんと花を咲かせてくれていました。
だけど最近、くたびれたように見えるその姿に
「このままじゃダメだ…!」とようやく重い腰をあげ、剪定することに。
最初は「とにかく切っちゃおう」と淡々と作業していたけれど、
枝を1本ずつ眺めながら
「これは残していい?」「こっちは元気?」と考えていくうちに、
不思議と、そのバラの姿が自分自身と重なって見えてきたのです。
私は昔から、興味があることにすぐ飛びついてしまうタイプ。
あっちに手を出し、こっちに手を出し…。
でもそのどれもが中途半端で、結局どこへも届かないままの“手”がいっぱいある。
伸びっぱなしの枝は、風通しを悪くして病気の原因になるし、
古い枝が、新しく育とうとする芽のじゃまをしていたりする。
どこかで止まったままの“実”が、ぽとんと枝先に残っていたりもする。
剪定しているうちに、私は思いました。
「私にも、いらなくなった枝があるのかもしれないな」って。
新しい芽を育てるには、
時には“まだ元気な枝”を切らなきゃいけないこともある。
痛みを伴う選択だけれど、それも成長のため。
剪定を終えたバラの木は、なんだか少しスッキリした顔をしていました。
あとは、足りなかった栄養をそっと足してあげれば、
きっとまた、美しい花を咲かせてくれるはず。
そして私もまた、自分自身を整えながら、
「これからどんな花を咲かせたいのか」ゆっくり考えていこう。
そんなふうに感じた午後のひとときでした。
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