🌹バラの姿に、自分を重ねて

エッセイ・気づき

我が家の庭には、バラの木が一本あります。
「アロマセラピーを習っているんだし、庭にバラがあったら素敵かも」
そんな軽い気持ちで、薄いピンクの可憐な花を咲かせる苗木を植えました。

最初のうちは張り切ってお世話していたけれど、だんだん手が回らなくなり、
ここ1〜2年は、ほとんど放ったらかし。
本当は消毒や花がら摘み、肥料など、いろいろお手入れが必要なのに…。
ズボラな私には、ちょっとハードルが高かったみたいです。

でも地植えにしたおかげか、ほとんど何もせずとも、
そのバラはちゃんと花を咲かせてくれていました。

だけど最近、くたびれたように見えるその姿に
「このままじゃダメだ…!」とようやく重い腰をあげ、剪定することに。

最初は「とにかく切っちゃおう」と淡々と作業していたけれど、
枝を1本ずつ眺めながら
「これは残していい?」「こっちは元気?」と考えていくうちに、
不思議と、そのバラの姿が自分自身と重なって見えてきたのです。


私は昔から、興味があることにすぐ飛びついてしまうタイプ。
あっちに手を出し、こっちに手を出し…。
でもそのどれもが中途半端で、結局どこへも届かないままの“手”がいっぱいある。

伸びっぱなしの枝は、風通しを悪くして病気の原因になるし、
古い枝が、新しく育とうとする芽のじゃまをしていたりする。

どこかで止まったままの“実”が、ぽとんと枝先に残っていたりもする。

剪定しているうちに、私は思いました。
「私にも、いらなくなった枝があるのかもしれないな」って。


新しい芽を育てるには、
時には“まだ元気な枝”を切らなきゃいけないこともある。
痛みを伴う選択だけれど、それも成長のため。

剪定を終えたバラの木は、なんだか少しスッキリした顔をしていました。
あとは、足りなかった栄養をそっと足してあげれば、
きっとまた、美しい花を咲かせてくれるはず。

そして私もまた、自分自身を整えながら、
「これからどんな花を咲かせたいのか」ゆっくり考えていこう。
そんなふうに感じた午後のひとときでした。

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